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三線の名器開鐘
三線専門店の開鐘屋がこの度、琉球王朝時代の名器、開鐘(ケージョー) を復刻。琉球王朝時代の名器開鐘とは、琉球国王がお抱えの三線打 (職人)に製作させ、御茶屋御殿にて夜が明けるまで聴き比べて 選び抜かれた幻の名器です。 製作者の間では、知られているところではあったが、これの復刻となると 今までハードルが高くできないでいた。 今回、開鐘屋はその名器を復刻することができた。
名器の復刻で難しい所は、型と音の復刻である。
型の復刻にいろんな点で時間が掛かったが、実際にわずかであるが戦火を逃れ残っている実物や資料を見て研究できる。
しかし、音の復刻となると非常に難しい。
100パーセント当時の原型のまま残っている三線(開鐘)が無い。それから、音の記録を持っている人はほとんど無く、その復刻には非常に時間が掛かる。
そこで、開鐘屋が目指したのは、琉球王朝時代に王様が開鐘(時を告げる鐘)の音と三線の音を間違え開鐘と名づけられた説からヒントを得て、男弦(低音の弦)を鐘の音に近づける研究した。
しかし当時の三線は、現代の三線より棹がかなり細い。
現代の太い棹の三線でも鐘の音に近い低音が出せないのにどうすれば
その音を作れるか研究に励んだ。
そこで現代の弦と当時の弦の違いをある文献から、王朝時代の三線には
絹糸を使用していたことが判った。そこから、いろんな壁にぶつかりながらも、
1年を掛けて三線用の絹糸を三味線の絹糸メーカーとの共同開発に成功した。
開鐘がこのような形で復刻したことは、単に形影文化財を一挺復刻することではなく
沖縄の三線好きの方々に普通に使ってもらおうという考えもあった。
そのため復刻には、一挺の非常に高い開鐘を作ることから始まり誰でも手にしてもらおうというところにも大変苦労した。
きっと開鐘の復刻で沖縄の三線の流れは変わるかもしれません。
誰もが開鐘に手をだされるとは思いませんが、三線にある程度より満足のいく
三線となるとこれからは開鐘を選ぶという時代になるかもしれません。
ただ元々は、琉球王朝時代からあった昔からある名器です。
それが現代に復刻できたことを非常に喜びと思っています。
第1回
第2回
新聞に掲載されました。
琉球新報 平成18年11月9日夕刊
沖縄タイムス 平成19年1月24日朝刊