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三線とかんからさんしん 沖縄が琉球王国時代、琉球は中国と交易を交わし、中国文化にかなり影響を受け そのころ中国からいろんな民族楽器が入ってきた、その時の三弦楽器が今の三線 に少しずつ変わったのである。三弦のルーツは今から3〜4千年前にエジプトに始ま り、アラビア、ペルシャを経てインドに入り琵琶となり、一方スペインから欧州に入っ た三弦は今のバイオリン、マンドリン、ギターに変わっていった。唐においては、胴 に蛇皮を張った三弦が中流以上の家庭で流行したのち、今から約580年前の察度 王時代、琉球に支那を経て入り北上して日本の三味線となり、ほとんど伴奏楽器だっ た三線、三味線は津軽においてはリード楽器となった。ところでかんからさんしんは、 戦前(第二次世界大戦前)沖縄では、こどもたちがクバ(ヤシ科)の葉の堅いところを 棹に使い胴の部分を空き缶、弦を麻の皮の繊維をひねって作り、遊んだのが始まり で音はあまり出なかったそうです。それから沖縄では、戦争でいろんな物を失った が今の金武町屋喜の捕虜収容所において棹は、米軍の野戦用ベットの廃材と胴の 部分は、米軍支給の空き缶、弦はパラシュ−トの紐や、電話線を使い戦前のカンカラ 三線がよみがえったのである、音楽の原点は、まさに楽しむことだと思う、当時の収容 所の映像を観た時には、まさに生きる、楽しむ原点を観ました、太鼓はジープの燃料 タンクを叩き、カンカラサンシンを弾いて唄っている様子を見て、とても捕虜収容所の中 には見えませんでした。 僕は、初めて三線を弾いた時 ・・・朝までドキドキして眠れなかった。。 おきなわ通.com 店長 まちだ
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